“キラキラ”よりも“ワクワク”を。テレ東からベンチャー企業への転職、福田典子アナに聞く「新しい時代の新しいシゴト観」

東京ウォーカー

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8年間務めたテレビ東京を卒業し、SCOグループに転職をした福田典子さん。バラエティ番組「モヤモヤさまぁ〜ず2」の3代目アシスタントを務めるなど、お茶の間の人気者だった彼女はこの春から、フリーアナウンサーとして活動しながら、歯科業界に特化したメディカルテック企業で広報の仕事を担当している。

2013年設立のSCOグループは、歯科医院向けソフトウェアの開発や決済サービスの提供を行い、歯科業界になくてはならないインフラカンパニーを目指すベンチャー企業。福田さんは、自らの生活の変化とともにキャリアの方向性を大きくシフトさせた。テレビ業界での経験を活かし、新たな領域であるヘルスケア分野での広報業務に挑戦中の彼女に、キャリアの転機、現在の仕事、そしてこれからの目標について話を聞いた。

株式会社SCOグループの広報兼、フリーアナウンサーの福田典子さん【撮影=藤巻祐介】


縁と運とガッツが変えた福田アナのキャリアと人生

ーー福田さんは大学卒業後、RKB毎日放送に入社しアナウンサーとして活躍されていましたが、そもそもアナウンサーを目指そうと思ったのはいつごろからですか?そのきっかけも教えてください。
【福田典子】大学の授業や、広報戦略のゼミで“伝えること”への興味を持ち始めました。特に、BSフジの学生キャスターを経験してから、仕事としての興味が湧き始めました。学生時代はプレゼンテーションが多い授業で伝えることの楽しさや難しさを感じていましたが、カメラを通してテレビで伝えることの新しい感覚がおもしろくて、仕事としてさらに追求してみたいと感じたのが、アナウンサーを目指した一番のきっかけでした。

友人に誘われ、アナウンススクールの説明会に足を運んだことがすべての始まりだった【撮影=藤巻祐介】


ーーBSフジの学生キャスターは自主的に参加されたんですか?
【福田典子】実は友だちが「高島彩さんを見にフジテレビのアナウンススクールの説明会に行く」と言い出したんです。それに興味本位で同行したところ、アナウンススクールというものも初めて知りましたし、アンケートに答えたら、後日、授業を安く受けられる割引が当たりました。母に相談したところ「自分で払いなさい」と言われ、授業料を自分で工面して通い始めました。いざ通い始めてみると、当然ですが、私以外みんなアナウンサー志望なんですよ。それはそうですよね(笑)。私は話し方講座に通うくらいの気持ちで入っていたので、当然みんなとレベルの差もあったんです。私、ド下手だったんですけど(苦笑)、「カメラの前ですごく生き生きと楽しそうにしゃべっている」とスタッフの方の目に留まり、それがきっかけでオーディションに誘われたんです。

縁と運とガッツで、人生を切り開いてきた福田さん。切り開いたあとの努力が伴って、今の活躍につながっている【撮影=藤巻祐介】


【福田典子】そのオーディションに合格して、BSフジの第21期の学生キャスターとして半年間ほど務めました。その経験が非常に役立ち、カメラを通してテレビで伝えるという新しい感覚が本当におもしろくて、真剣にアナウンサーを目指しました。

【福田典子】私の人生は縁と運とガッツで動いているんですよ(笑)。就活のときも「縁と運とガッツだから」って周りに言われていたんですけど、振り返ってみると、人生においても本当にご縁が多い。アナウンサーを目指したのもそうですし、RKBからテレビ東京に移るときもご縁だったなって思いますし、テレビ東京からここに来ることになったのもそう。本当にご縁のおかげでここにいられているって思います。

ーーRKBからテレビ東京に移った際の経緯について教えていただけますか?
【福田典子】テレビ東京の中途採用はとても珍しいケースで、キー局の女性アナウンサーとして中途採用されるのは、おそらくそのときが最初で最後だったと思います。女性アナウンサーの場合、通常は新卒採用が多く、新しい人がどんどん入ってくるので中途で採用することは少なかったんです。その当時、私は福岡でアナウンサーとしてとても充実した生活を送っていて、本来なら辞める気はありませんでした。

【福田典子】ただ、友人から「宝くじを買うようなもの。買わなきゃ当たらない」と言われ、エントリーすることにしました。迷いはありましたが、ギリギリのタイミングで応募を決め、結果的に2回の面接を経て採用されました。あのときエントリーして本当によかったなって思います。

ーーエントリーするかしないかで、結果として大きな違いになりましたね。
【福田典子】そうですね、あそこでエントリーしない選択をしてたら…一歩踏み出せたことによって、いろいろなことにより前向きに取り組めるようになったと思います。

コミュニケーションの奥深さを感じた「モヤさま」での経験

ーーテレビ東京時代、特に印象に残っている仕事について教えてください。
【福田典子】最初にみなさんに言っていただくのは「モヤさま」ですね。スポーツの取材をしたいと思ってテレビ東京に入ったので、まさか最初からバラエティをやらせてもらえるなんて思ってもみませんでした。しかも「モヤさま」という人気番組に、中途で入ってすぐに関わらせていただけたのは本当に予想外でした。

ーー「モヤさま」での経験はどのようなものでしたか?
【福田典子】番組を通じて、さまぁ〜ずさんのすごさ、特にコミュニケーションの巧みさを間近で感じることができました。おふたりは、どうすれば番組をおもしろくできるか、どの部分が視聴者に響くかを熟知していて、どこが撮れ高になるか、どのように編集されて放送されるかも把握しながら動いていました。それを隣で学べたのは本当に貴重な経験で、私の財産です。番組が日曜日に放送されたあと、月曜日の朝に出張でどこかへ行くと「昨日見たよ」と言われたり、実はその時点で収録はずっと前に終わっているのに「沖縄からもう帰ってきたの?」と言われることもありました(笑)。こうしたことも視聴者の方とのコミュニケーションの一環ですし、そうしたやりとりがとても楽しかったです。

さまぁ〜ずのふたりと仕事をすることによって、番組の作り方やコミュニケーションの取り方を学んだそう【撮影=藤巻祐介】


ーー気負いなどはありませんでしたか?
【福田典子】もちろんありました。3代目アシスタントとしての私は、「自分らしくやっていいよ」と言われながらも、その自分らしさが何かわからずに悩むことが多かったです。でも、退社が近づいたころは、おそらく人間としても強くなっていたので心置きなく楽しめました(笑)。あの番組は私にとって“第2の故郷”のような存在です。最後の退社ロケの撮れ高がとてもよかったようで3回にわたるほどの内容だったことは、本当にうれしいサプライズでした。過去のロケで「撮れ高パンパン」と言われた大橋未歩アナの話を聞いていたので、私も最後に同じように言われたときは本当にうれしかったんです。

ーーそうした貴重な経験を、今どのように感じていますか?
【福田典子】今振り返ると、一つひとつの経験が私の財産ですね。特に「モヤさま」での経験は、テレビ東京でのキャリアのなかでも特別なものでした。これからもその学びを活かして、新たなフィールドである広報業務に挑んでいきたいと思います。

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